この小説について
『くすんだ青の金曜日』は、女性物の服に惹かれた32歳の会社員・中野和也が、誰にも知られない部屋で少しずつ女装を始めていく全13話の小説です。
小説を気軽な入口にしながら、作中に登場する悩みに関連したガイド記事も読める形にしています。
この物語は前の話から続いています。初めて読む方は、第1話「合格点」からお読みください。
この作品はフィクションです。
はじめまして、管理人のマキです。
女装歴20年の経験も踏まえながら、身バレの不安に配慮した情報を初心者向けに分かりやすく整理しています。
本編
母から連絡が来たのは、木曜の夜だった。
「今度の日曜、寄ってもいい? 毛布持っていくから」
季節の変わり目だった。
毎年この時期になると、母は実家から毛布や布団を持ってきて、俺の部屋のクローゼットの上段へ入れていく。
今年も同じだろうと思い、「いいよ」とだけ返信した。
日曜の午後、母はいつもと変わらない様子でやってきた。
玄関で靴を脱ぎながら、部屋の中を見る。
「あら、今日も片付いてるじゃない」
「まあね」
母を部屋へ通す。
母は持ってきた紙袋から野菜を取り出し、冷蔵庫へしまった。
中身を見ながら、足りない物や食事のことをいくつか口にする。それから、抱えていた圧縮袋入りの毛布を持ち、クローゼットの前へ立った。
「上、空いてたわよね」
聞き慣れた一言だった。
俺が答えるより先に、母はいつもの動作で扉へ手をかけた。
その瞬間、体が強張った。
止めなければと思ったときには、すでに扉が開いていた。
「よいしょ、っと」
母は毛布を持ち上げ、上段へ押し込もうとしている。
服を入れた引き出しは、その少し下にあった。正面から中身が見えるわけではない。それでも、母の腕が動くたび、視線をそこから外せなかった。
「和也、最近仕事どう? 忙しい?」
「うん。まあ、普通」
声は出ていた。
けれど、あとから考えると、自分が何を答えたのかよく覚えていなかった。
母は上段に入っていた物を少し横へずらし、毛布を押し込む場所を作っている。
手が引き出しに触れることはなかった。
ただ、母の肘がその近くを通るたび、次の動きを目で追っていた。
「これでよし」
毛布を入れ終えた母が、扉を閉める。
「ちゃんと片付けてるじゃない。感心、感心」
母は笑っていた。
「そりゃそうだよ」
そう返しながら、止めていた息を、気づかれないようにゆっくり吐いた。
母は一時間ほど部屋にいた。
お茶を飲み、仕事や食事の話をしてから帰っていった。
「じゃあね。体に気をつけて」
玄関で見送り、鍵を閉める。
母の足音が聞こえなくなっても、すぐには部屋へ戻れなかった。
何かが起きたわけではない。
母は何も気づかず、普段と変わらない様子で帰っていった。
それなのに、体に入った力がうまく抜けなかった。
俺は上がり框へ腰を下ろした。
――今日は、大丈夫だった。
そう思った直後、別の考えが浮かんだ。
――次も、大丈夫だとは限らない。
その言葉は、思っていたより重かった。
玄関の明かりの下で、俺はしばらく、呼吸が元に戻るのを待っていた。
さいごに
自分では見つかりにくい場所へしまったつもりでも、家族が普段使う収納場所は、季節物の出し入れや片付けで開けられることがあります。
和也は何も見つからなかったことに安心する一方で、次も同じように気づかれないとは限らないと感じました。
女装用品を家族に見つかりにくく保管する方法や、避けた方がよい隠し場所については、こちらの記事で詳しくまとめています。
この小説を続けて読む
前の話 第8話「鏡の中の全部」
次の話 第10話「全部出してみる」


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