この小説について
『くすんだ青の金曜日』は、女性物の服に惹かれた32歳の会社員・中野和也が、誰にも知られない部屋で少しずつ女装を始めていく全13話の小説です。
小説を気軽な入口にしながら、作中に登場する悩みに関連したガイド記事も読める形にしています。
この物語は前の話から続いています。初めて読む方は、第1話「合格点」からお読みください。
この作品はフィクションです。
はじめまして、管理人のマキです。
女装歴20年の経験も踏まえながら、身バレの不安に配慮した情報を初心者向けに分かりやすく整理しています。
本編
母を見送ったあとも、いつもと変わらない夜が続いた。
使った湯飲みを洗い、テーブルを拭き、テレビをつける。
何かを乗り越えたような感覚はなかった。
数日後の火曜日、来週の予定を確認するために、スマートフォンのカレンダーを開いた。
金曜日の欄には、何も入っていなかった。
以前にも、同じように予定表を見たことがある。
あのときは、金曜日を空けようとしている自分に、あとから気づいた。
何のために空けようとしているのか。
どうしてそんなことを考えているのか。
自分に問い詰めるようにして考えたが、答えは出なかった。
今日は違った。
金曜日の夜には予定を入れないでおこう。
そう思った時点で、何のためなのかは分かっていた。
誰かに説明する必要はない。
自分に向かって理由を並べる必要もなかった。
ただ、その時間を空けておく。
それだけだった。
母には、これまで一度も話していない。
これからも、話すつもりはなかった。
クローゼットの扉が開いた日のことを思い出せば、今でも体に少し力が入る。
次も何も起きないとは限らない。
その不安が消えたわけではなかった。
それでも、金曜日を待つことまで、やめようとは思わなかった。
カレンダーを閉じた。
金曜日は、三日後だった。
その日は、いつも通り仕事へ行った。
月末の処理を終え、机の上を整え、ほかの社員と同じ時間に会社を出る。
帰りにスーパーへ寄り、夕飯と、いつも飲んでいるお茶を買った。
部屋に着くと、上着を脱ぎ、手を洗った。
カーテンを閉める。
玄関の鍵も確認した。
以前と同じ動作だった。
けれど、今日は一つずつ確認するたびに立ち止まることはなかった。
クローゼットを開け、手前の鞄を動かす。
奥から収納ケースを引き出し、蓋を開けた。
畳んだニットの、くすんだ青が見えた。
手に取る。
柔らかな生地の感触は、最初に店で触れたときと変わっていなかった。
ニットとスカートを取り出し、ケースの蓋を閉める。
服を着て、ウィッグを被る。
鏡を見ながら、下地とファンデーションを塗った。
以前よりは、迷わずに手を動かせるようになっていた。
それでも、すべてがうまくいったわけではない。
前髪の位置は少しずれて見えた。
顎の青みも、近くで見れば残っている。
スカートの裾も、立ち方によっては形が崩れた。
鏡の中の姿は、あの一枚の写真とも少し違っていた。
似合っているのかどうか、よく分からなかった。
以前なら、その答えが出るまで鏡を見続けていたかもしれない。
今日は、しばらく見たあとで鏡から離れた。
似合っているかどうかを、今すぐ決めなくてもいいと思った。
キッチンへ行き、湯を沸かす。
いつものカップへお茶を注ぎ、こぼさないように両手で持った。
ニットの袖が、手首に触れていた。
そのままソファへ座り、テレビをつける。
画面には、毎週見ている番組が流れていた。
誰かに見せるためではない。
写真を撮るためでもない。
ただ、この姿で、この部屋に座っている。
それだけだった。
落ち着かない気持ちは、まだ少し残っていた。
けれど、すぐに服を脱ごうとは思わなかった。
カップから湯気が上がっている。
一口飲むと、いつもと同じ味がした。
窓の外を車が通り過ぎる音が聞こえた。
俺はソファの背もたれに体を預けた。
金曜日の夜は、まだ始まったばかりだった。
さいごに
女装を楽しむために、誰かに見せたり、理解してもらったりする必要はありません。
和也は、不安や迷いがなくなったわけではありません。それでも、金曜日の夜を空けておく理由を、自分に説明しなくても分かるようになりました。
似合っているか、うまくできているかよりも、自分がその時間を過ごしたいと思えることが、続ける理由になる場合もあります。
女装にかかるお金や時間、保管、気持ちとの付き合い方については、こちらの記事で詳しくまとめています。
女装を趣味として続けるには
全13話、最後までお読みいただきありがとうございました。
― マキ
この小説を続けて読む
前の話 第12話「しまっておく」

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